宮城陶器
サトウキビ畑が広がる南城市佐敷ののどかな場所に工房を構える宮城陶器の宮城正幸さん。
昔ながらの古民家を改装した畳間のギャラリーには、宮城さんの端整で美しい器が静かに並んでいる。
まるで絵のような心癒されるサトウキビ畑の風景が収まった窓からは優しい光が差し込み、その光がスポットライトの役割を果たし、器の美しさを引き立てている。
白化粧土に青の釉薬で絵付けした作品は、涼しげな雰囲気で、宮城陶器の代表作のひとつとなっている。
他にも、竹の断面に赤や青の釉薬を付けて白地の器体に、印鑑のように押して、絵付けを施したお碗やカップも人気が高い。
沖縄のやちむんと聞くと、少しぽってりとした厚手の印象が強いが、宮城さんが手掛けた器は、薄めで、シャープなフォルムなのが特徴だ。パスタやピッツアなど洋食にも適しており、日常使いに優れている。
「薄く作ることは、意識しています。デザインは、極力シンプルに仕上げ、エッジをきかせたり、角を際立たせたりと、造形に意識を置いています」
使い心地の良さや、佇まいの美しさは、師匠でもある壹岐幸二さんに通じるものがあり、師匠の教えを胸に丁寧に手掛けているのが伝わってくる。
宮城さんは25歳のときに、読谷村で窯を構える壹岐幸二さんの工房に入り、陶芸の道に飛び込んだそう。
「工房に入る前はサラリーマンをしていましたが、本当にやりたいことなのだろうかと、迷っていました。自分には無理かもしれないと思ったが、モノ作りの仕事に挑戦したい思いが強くなり、壹岐さんの工房の門を叩きました」
壹岐さんの工房では10年勤めた宮城さん。
25歳と、芸術大から始める人と比べると、少し遅めのスタートとなったが、濃密な10年を過ごしたことが礎となり、今がある。
「始めは2、3年でと考えていたので、10年は長かったですね。でも10年どっぷり漬かったことが良かったと思います。教えてもらった、美しさと使いやすさのバランスを意識して、今も器作りに取り組んでいます」
工房は今年で3年目を迎え、新しい転機を迎えている。
「ひとつの形は、確立できました。工房も軌道に乗せることができたので、新しいことにチャレンジしていきたいと思っています」と見せてくれたのは、今の作風とは対極的な土の表情が器に現れた土器に近い作品だった。
「工房を立ち上げた当初から考えていた形です。古いモノが好きなので、アンティークな家具や食器などと並べても違和感が湧かないものを作りたかった」
爽やかな色彩の器と、新しく取り組んでいる大地の力が漲る力強い器。
2つのスタイルで展開する宮城陶器の挑戦をこれからも見守りたい。
田村窯
親方の教えを忠実に爽やかなやちむんを手掛ける
素朴ながらも味わい深い沖縄のやちむん。
製造法は同じでも、手掛ける陶工によって、多様な個性が表れてくるのも、また、やちむんの面白さでもある。
初めて田村窯の器を見たときの印象は今でも強く残っている。
奇をてらったような仕掛けがあるわけではく、伝統をモダンテイストにアレンジしたわけでもない。昔ながらの素材を使い、よく見かける伝統柄を用いた器だった。
しかし、そこには伝統という重たさはなく、「ポップ」という言葉が適切かは分からないが、とにかくリズミカルで、爽やかさがあった。
造形や、絵付けのタッチがやわらかく、配色のバランスも若い感性が吹き込まれているようにみえ、実際に使ってみると、使い勝手がよく、細部まで丁寧に仕上げていることが伝わってきた。
「日常で使いやすい器を作るように心掛けています。器に、緊張感が出てしまわないように、やわらかさは意識しています。でも、そこまで深くは考えていませんよ。自然に作ることで、そういったところが出せたらいいですね」と話す二人。
田村窯は、将敏さんと麻衣子さんの夫婦で作陶する共同窯だ。
二人は、同じ修行先だった北窯で出会ったという。
北窯に来た経緯も少し似ている。大阪出身の将敏さんは、アパレル業界で有名な「ビームス」の販売員をしていたときに、店舗で扱っていた沖縄の焼き物に魅了され、好きだったファッションの道から軌道修正して、沖縄で陶工になる道を選択した。
愛媛出身の麻衣子さんは地元の会社で事務員として勤めていたが、陶芸に興味が沸き、通っていたギャラリーのオーナーの紹介で北窯に行くことを決意したという。確立されつつあった生活の基盤を捨ててまで、「沖縄のやちむんを作ってみたい」という衝動を優先した純粋な思いは、今も作品に現れているように思える。
独立して7年目を迎えた今年、以前から思い描いていた夢が実現するかもしれない。
それは、登り窯の完成だ。
「2015年の暮れから作り始めました。北窯では、登り窯で焼いていたこともあり、独立前から登り窯を築くことが夢でした。きれいに確実に焼き上げるなら、ガス窯の方が向いていますが、登り窯には登り窯の良さがあり、自分たちの思い描く想像を超えた作品を生み出してくれる楽しさがあります。完成まで大変ですが楽しみがありますね」
3連房の登り窯は、ベニア板を組み合わせて下地を作った状態で、ここから煉瓦を積み上げ、仕上げに入っていく。
仕事の合間をみながら、将敏さんが中心となり、コツコツ作業を進めていくという。
完成後の器がどんな表情を見せてくれるのか。今から楽しみだ。
育陶園
伝統の焼き物産地を明るく変える新しいやちむん
300年もの歴史を誇る壺屋焼の老舗窯元育陶園の6代目・高江洲忠さんは、生まれ育った町で焼き物を作り続け、約半世紀になる。
家族が中心の小規模だった工房は、今では7代目となる息子の尚平さんも加わり、30名近くになる大所帯となった。
「始めはおやじとおじさん、私を入れて5、6名でした。今は陶工が15人、販売担当が10名、経理や事務も合わせると30名近くになるかな。いいファミリーが揃っていますよ」と工房を見回しながら、うれしそうに話す。
父も祖父も陶工という陶芸一家で育ったこともあり、幼い頃から陶芸の仕事に携わっていた高江洲さん。
「薪割りや土練りの手伝いをやらされていたので、身体は鍛えられましたね。足は陸上部にも負けないくらい速かったですよ。
でもあの頃は、とにかく沖縄から逃げ出したくてね。高校卒業してすぐに、パスポートを使って愛知県の瀬戸市にある窯業訓練校に行きました。陶工を目指す同世代との出会いは刺激になりましたが、そこで初めて、自分は恵まれた場所で生まれ育ったことに気づかされました。
近代化の波にのまれることなく、昔ながらの焼き物が残る沖縄の焼き物の魅力を再発見することができました」
卒業後、21歳のときに沖縄に戻ってきた高江洲さんは、代々作られてきた酒甕やシーサーを手掛ける一方で、新たに器作りにも力を入れるようになる。
老舗窯元ではありながら、伝統に縛られない柔軟な考えを持ち、現代の食卓に合わせた新しいデザインのやちむん作りに挑み、次々と作品を生み出してきた。沖縄の香りは残しつつも、都会的でモダンな佇まいの器は、沖縄の伝統工芸に新しい風を吹き込んだ。
「モノ作りに、『これが正しい』というものはないと思います。うちの工房では、陶工それぞれがユニークな作品を作って楽しんでいます」と、かわいい絵柄の器など、きりっと締まったギャラリーに並ぶ作品とは違った、遊び心にあふれた作品をいくつか見せてくれた。
高江洲さん自身もユニークさでは負けてはおらず、次回の個展ではまだ未完成だが、ロケットを模した壮大な作品を考案中だというから驚きだ。
「普段から夢を持ってやっています。時には遊びも大切なんですよ」。
一方で、商品化するために、企画会議を毎日のように開いているという。
「今は娘の若菜が中心となり、現代に合わせたデザインを考え陶工と話合いながらモノ作りを進めています」
そううれしそうに話す高江洲さんの笑顔が印象的だった。
高江洲さんの思い描く夢は、大家族の力があわさり、ひとつひとつ形となっている。
新しい風を吹かすモダンなやちむんは、伝統が根付くの壺屋の町全体を活気付かせているようにもみえた。